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"癒し"によって解き放たれる狂気! サスペンス映画『CURE キュア』(1997)の恐怖やラストについて解説【あらすじ、感想、ネタバレあり】

『CURE キュア』(1997)は、人間の心の闇を深くえぐる、サイコサスペンス作品。

日本サスペンス作品を代表する一作です。

そして、監督である黒沢清の名を一躍有名にした出世作でもあります。

カメラ長回しによるワンショット映像を多用した本作は、終始緊張の糸が張り詰めっぱなし。

また、効果的に入れられた映像ノイズや耳障りな環境音が、不快感と気持ち悪さを与えています。

緻密に計算され、細部までこだわり抜いた、黒沢清渾身の一作です。

本記事は、本作における恐怖の正体やラストの意味について、ネタバレを交えて解説していきます。
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『CURE キュア』(1997)の作品情報とキャスト


CURE

作品情報

原題:CURE キュア
製作年:1997年
製作国:日本
上映時間:111分
ジャンル:サスペンス

監督とキャスト

監督:黒沢清
代表作:『散歩する侵略者』(2017)『トウキョウソナタ』(2008)

出演者:役所広司(高部)
代表作:『孤狼の血』(2018)『EUREKA ユリイカ』(2000)

出演者:萩原聖人(間宮)
代表作:『光の雨』(2001)『教祖誕生』(1993)

出演者:うじきつよし(佐久間)
代表作:『グッド・ストライプス』(2015)『ロボコン』(2003)

『CURE キュア』(1997)のあらすじ

今までの事件を振り返る高部:© KADOKAWA CORPORATION 2019

白昼、女性が殺される殺人事件が発生。

殺された女性は頭部を鈍器で殴られた他、左右の首筋が深く切られていた。

同様の手口の事件が頻発する中、一連の事件の関連性を追う刑事高部。

しかし各事件の犯人達は、いずれも犯行自体の記憶があるものの、動機に関する記憶はなかった。

煮詰まる捜査に加え、精神を病んだ妻を持つ高部は徐々に追い込まれていく。

そんな中、犯人の1人である元警官が犯行前にある男を病院に入院させていたことが判明。

男の名前は間宮と呼ばれていたが、一切の記憶を失っていたため、真相が聞き出せない状態だった。

高部は粘り強く聞き出そうとするも、お前は誰だと言い続ける間宮。

いら立ちをあざ笑うかのような間宮に、高部の日頃のうっ憤はついに爆発。

彼が問い続けてきた言葉に答えた高部の心には、不思議と安らぎの感覚があった。

【ネタバレあり】『CURE キュア』(1997)は怖い!? 内容の解説と考察

女医に話しかける間宮:© KADOKAWA CORPORATION 2019

『CURE キュア』(1997)は、ただならぬ恐怖をあおり立ててくる作品です。

催眠術によって心の奥底がのぞき込まれ、自らを縛るものの存在が浮き彫りとなる恐怖。

その縛りを解き放たんと、凶行へと走らせる者の存在。

全編を通して不安感が続き、緊張状態が途切れることはありません。

また、本作は抽象的なシーンが多く、複数回見ても完全に理解することは難しい内容です。

そんな『CURE キュア』(1997)が描く恐怖について、いくつかの視点で解説、考察していきます。

"癒し”の伝道師

本作のタイトルにもなっている、”CURE”。

"癒し”を意味するこの言葉が本作に与える影響は計り知れません。

間宮は相手に終始、問い続けます。

「あんた誰だ」

「あんたの話をもっと聞かせてよ」

記憶障害を持つこの男は、数秒前に言った言葉さえも忘れるほど。

ひたすら問い続ける彼に、相手は次第にいら立ちや困惑を覚えます。

しかし、これが彼の手口でした。

相手は彼との会話を終えたい一心で、話をしてしまいます。

このほころびをきっかけに、間宮は相手の心の奥底に一気に踏み込むのです。

いったんスキを突いたら最後、相手はもはや間宮の術中下。

間宮が施す催眠は、相手の心の奥にあるネガティブな面を引き出すものでした。

そして、そんな負の感情を持つ原因となった要素を取り除くように仕向けます。

結果、凄惨な殺人事件が起こることになったのです。

医学生だった間宮は、メスマーの催眠暗示について研究していました。

その一環で知った伯楽陶二郎という男を知り、彼の思想に傾倒するように。

日本に催眠療法を持ち込んだ伯楽は、催眠暗示を"癒し”を与える療法としていました。

彼の術にかかった女性は、後に息子の首筋をX字に切り付けて殺します。

今まで殺された被害者達と同じ傷です。

人が抱える深い闇を知り、それを取り除こうとする"癒し”。

間宮は、それをまさに実践していたのです。

高部の知らないうちに間宮と会った精神科医の佐久間。

彼もまた、間宮と伯楽の関係性にたどり着いていました。

間宮という男はいったい何者なのかと問う高部に対し、佐久間は、

「伝道師」

と答えます。

当時は妖術の類と見なされていた催眠暗示を世に広めたかった伯楽。

そんな伯楽の思想を受け継ぎ、実践する間宮は、"癒し”の伝道師だったのです。

彼らの催眠術は、結果として人を死に追いやります。

人間社会においては、決してあってはならない殺人行為そのもの。

はたしてこれが"癒し”と呼べるのかは、大変難しいところです。

術にかかった者は、心の闇を吐き出すことで解放感を得ます。

胸のつかえが取れる感覚は、たしかに"癒し”なのでしょう。

けれどもそれは、他人にとっての"癒し”とはなり得ないもの。

恐ろしいのは、これを"癒し”として伝道しようとする姿勢です。

社会生活を送る以上、避けて通れない心の闇。

そんな、誰しもが潜在的に持つものを操られ、知らないうちにタブーを破らせる催眠術の恐怖。

ごう慢さを持った狂人の恐ろしさに、寒気が止まりませんでした。

加えて、むごい殺人事件を題材にしながらタイトルを『CURE キュア』(1997)としている点。

矛盾が生み出す感覚が、なんともいえない不気味さをかもしているのです。

社会が生み出す矛盾と憎悪

間宮を追い詰めようとする高部もまた、間宮の術中にはまってしまいます。

彼にも大きな闇の部分がありました。

それは、精神を病んだ妻文江の存在。

洗濯物が入っていない洗濯機を回し続けたり、用意した夕食が生肉のままだったり。

外に出れば間違いなく迷うため、高部はその都度探しに行かなければなりませんでした。

それでも、高部はこの状況に耐え続けてきました。

どんなに辛くても、こう在るべきだと考えていたからです。

こうした高部の本心を見透かしたかのように言い当てた間宮。

その話をしてくれとねだる彼に、高部のタガはついに外れてしまいます。

堰を切ったかのように、妻への不満をぶちまける高部。

話はやがて、自分や社会に対する内容へと変わります。

甲斐甲斐しく介護しているのに、自分ばかりが辛く、報われない状況。

こんな状態なのに、頭のおかしい奴らの理解不可能な事件に振り回される毎日。

それでいて、責任能力なしとして無罪放免となることへの怒り。

社会が求める"立派な刑事”や"良き夫”を演じてきたのに報われない、やり場のない気持ち。

一方で彼は、演じることを止めたいわけではないと言います。

社会で生きる以上、気ままに生きることは不可能と考えているからです。

そして、気ままに生きる狂った連中は絶対に許さないと言い放ちました。

洗いざらい話した高部はその後、間宮の催眠術にかかったような印象を見せます。

間宮との接触以降、彼の表情は妙に落ち着いていました。

思えば、本作で間宮の術にかかってきた者は、皆社会的に信用ある立場の人間でした。

刑事の高部をはじめ、詳細に描かれた者は小学校教師や警官、女医など。

社会の信用を得た立場の者は、それに応えようと振る舞います。

そうして作り上げたペルソナは、演じ続けていくほど、どこかで無理がかかってくるもの。

無理は押さえつけられ、やがて闇となって心の奥底に沈んでいきます。

間宮は、社会人たらんと振る舞う人間に"癒し”を与えていました。

人は生きていくうえで、社会との接触は避けて通れません。

ましてや社会人は社会自体を構成する者であり、規範である必要が求められます。

しかし、社会にコミットするほどに負の感情が溜まっていくジレンマ。

肥大したそれは、"癒し”を得ようと得まいと、結果的に凶悪犯罪を引き起こすのです。

本作は、社会が犯罪を生み出しているという視点を示しているように見えます。

この考え方は非常に危うく、こんな感想を抱いたときは私自身も「マズい!」と思いました。

本作が見せる恐怖は、ごく身近なところにいくらでもあるのです。

さらに言うと、間宮は社会の枠組みの外側にいる存在。

彼に対しては、一般的な倫理観では太刀打ちできません。

社会の外側にいる人間は、内側から働きかけても度し難いもの。

逆に、外側からのアプローチに対しては、内側はあまりにも脆弱です。

内から外からやって来る圧迫感は、防ぎようのない自然災害のようなやるせなさを感じさせます。

闇深き者達

物語序盤、高部が一連の事件と催眠術の関係性を疑い始めた頃。

彼は佐久間に、催眠術とはどんなものなのかを尋ねています。

佐久間が言うには、催眠法自体はごくありふれた技術でしかないとのこと。

続けざまに彼は、こうも言いました。

「いくら催眠状態に入っているとしても、その人間の基本的な倫理観を変えることはできない」

言い換えれば、殺人を悪だと思う人間には、人を殺す暗示はかけられないということ。

精神科医である佐久間の発言である以上、このことに間違いはないでしょう。

このシーンは、高部が事件を解く手がかりを探す過程で描かれています。

なので、違和感を覚えるところはなく、スムーズに見流すことが可能です。

しかし最後まで見終えると、先の佐久間の一言が途端に存在感を増し始めます。

結論から言えば、間宮は催眠術をかけ、"癒し”の一環で人を殺させていました。

ということは、催眠をかけられた連中は、一般的な倫理観を持ち合わせていないということになります。

溜め込んだ鬱憤は、殺意に直結するもの。

しかも、その殺意を実行に移すことに何のためらいもない価値観。

一見ごく普通の人達でも、その中にあるものは決して見えやしないのです。

人間自体が持つ恐ろしさを再認識させられました。

ここでもう一つ、犯人達が一般的な倫理観を持つ人物だという仮定での話をします。

佐久間の話によれば、これでは催眠暗示による殺人教唆は不可能です。

ではどうやって、彼らは犯行に及ぶことができたのでしょうか。

『CURE キュア』(1997)X字の意味とは?

『CURE キュア』(1997)で死体の首筋にX字の傷を付ける行為の意味とは、おそらく、"癒し”における行為の一つなのでしょう。

殺す目的でやってはおらず、あくまで"癒し”を目的としているのです。

間宮は心の底の悪意を引っ張り出す方法で催眠をかけます。

ただ、それは抱えた重荷から解き放ってやろうという善意の行為。

こうなると、止めるための手立てが、いよいよなくなってしまうのです。

どちらの場合にせよ、イヤな想像しかできません。

本作は、どんな解釈を試みても、後味の悪い結末に向かうのでしょう。

この点こそ、本作がまとう薄気味悪さの大きな要因なのです。

【ネタバレあり】『CURE キュア』(1997)のラストについて

高部と蓄音機:© KADOKAWA CORPORATION 2019

本作は、余韻を残した形で締めくくられています。

ラストシーンが一体どんな意味を持っているのか。

ここでは私自身の感想を述べていきます。

『CURE キュア』(1997)のラストをネタバレとともに整理

『CURE キュア』(1997)のラストについて書いていく前に、まずは、ストーリーをなぞっていきましょう。

間宮との相手などで疲弊しきった高部はあるとき、貴重な資料を入手したと佐久間に呼び出されます。

資料とは、19世紀末頃にに撮られたとされる映像のダビングテープでした。

映っていたのは、真ん中に座った女性と、顔が映っていない男性の姿。

注意深く見ると、その男性は女性に向かって指で"X”を描く動作をしていました。

佐久間が言うには、この映像はメスマーの催眠術を実践したときを映したものとのこと。

まだ催眠術が妖術の類いと見られていた時代のため、ひそかに撮られたものだと推測します。

佐久間はそんな話をしながら、急な眠気に襲われ、意識を失っていきました。

高部の声で我に返った佐久間は、間宮を伝道師だと言い、自分らしくない妄言に困惑。

落ち着こうとして行った別の部屋の壁には、"X”を描いた大きなひっかき傷のようなもの。

間宮に会ったことを確信した高部は佐久間に聞くも、彼は覚えていませんでした。

その後、高部は精神病院に向かい、彼の部屋のドアを開けていきます。

脱走した間宮を追う刑事達の中にいた高部は、佐久間が自殺した連絡を受け、家に向かいました。

知らせを聞いたときの彼の顔に動揺の色は見えません。

佐久間の家を後にした高部は、かつて伯楽がいた病院の廃屋へ。

中に入り腰を落ち着けると、そこにやって来た間宮。

間宮は高部に話しかけるも、その言葉を遮って、高部は間宮を撃ち殺しました。

小さな部屋にたどり着いた高部は、蓄音機の前に座ります。

電源を入れると、"癒せ”と言っているような声が流れてきました。

ところ変わって、場所は高部がよく行くファミレス。

以前と違って彼の顔には生気が戻り、食事は完食、食後のコーヒーさえ頼んでいました。

コーヒーの注文を受けた店員は、食器を下げてその場を離れます。

すると、その店員に上司らしき店員が何か一言。

その言葉を受けた店員は、レジ近くから包丁を取り出し、上司が戻ったキッチンへと向かいました。

本作はここで終わります。

今までを見る限り、この店員も催眠術をかけられているようでした。

そして、術をかけた人物は、高部とみて間違いないでしょう。

ただ、高部の用いる催眠術の方法については、はっきりと描かれていません。

これらに関する考察については、以下で述べていきます。

「CURE キュア」の伝道師を受け継いだ高部

病院で高部が胸の内を明かした際、間宮は彼に一言。

「あんたすごいよ」

高部の何をすごいと思ったのか、最初はよく分かりませんでした。

しかし、本作のラストを見ると、間宮の思うところが多少理解できます。

すなわち、間宮は高部の伝道師としての素質に対して驚いたのです。

それまでの人物は、間宮の誘導によってはじめて心を開く者ばかり。

対して高部は、間宮が手に持った催眠術に使うライターを消し、自ら闇を叫び始めました。

この点が、高部と彼らとの決定的な違いです。

そしてもう一つが、高部だけが社会に対しても不満を抱えていた点。

小学校教師も警官も、鬱憤を抱える原因は身近にいる者の存在でした。

高部にとっては妻もまた悩みの種でしたが、妻が精神を病んだ発端は社会のせいだと考えています。

間宮は、高部の抱える闇のスケールの大きさに素質を感じたのでしょう。

もともと、間宮の目的は"癒し”を広く知らしめること。

"癒し”を施す対象の原因が個人的であれば、その範囲は一定規模に留まります。

だが、原因が社会を指しているとしたら、"癒し”のもたらす効果は社会全体に行き渡るのです。

高部の持つ伝播力はずば抜けたものであり、伝道師として最適な人物でした。

社会を憎む者は少なからずいます。

彼らのタチの悪さは、無関係な大勢の人を巻き込む事件を起こす点です。

高見の動機となるものもまた、社会に対する憎しみ。

憎しみを晴らすための犯罪を起こす可能性は非常に高いものでしょう。

高見の伝道行為は、一種のテロ行為に近いものだと感じました。

そして、そんなヘイトを蓄積し続ける社会の恐ろしさにも、ゾッとするものがあります。

空っぽではなくなった間宮

では、彼はどのようにして間宮から伝道師の役割を受け継いだのでしょうか。

それは、間宮を殺した後に蓄音機の音声を聞いたことによるものだと考えられます。

間宮はメスマーに触れ、伯楽の存在を知ることで病院の廃屋にたどり着きました。

彼自身も、

「本当の自分に出会いたい人間は、いつか必ずここに来る」

と言っています。

間宮との接触によって、本当の自分がどんなものか察してしまった高部。

彼も佐久間同様、伯楽陶二郎まで突き止めていました。

この時点で彼は既に妻を殺しているようだったし、佐久間も自殺しています。

彼は、まとわりついていた一切の物事から解放されていました。

満を持して、彼は病院の廃屋に向かいます。

間宮に発砲した後、高部はこう尋ねました。

「思い出したか?」

頷く間宮にお前はもう終わりだと言って、高部は彼を殺します。

全部思い出したということは、間宮が伝道師の役割を終えたことを意味しているのです。

彼は女医に催眠暗示をかける際、こう話していました。

「俺の中にあったものが、今全部外にある」

解放された状態となったがために、記憶などが失われていると言うのです。

裏を返せば、記憶などの一切を取り戻せば、解き放たれていない状態に戻ることと同じ。

空っぽになっていなければ、伝道師の資格は得られません。

それを確認した高部は、役目を終えた男をあっさりと葬ります。

代わって解き放たれた状態の彼は、伝道師の資格を得たのです。

最後に彼は、蓄音機の声を聞き、伝道師として自分がすべきことを把握します。

こうしていよいよ無敵になった高見。

彼がこの後どんな理由でどんな行動を取るのか、もはや理解することは不可能でしょう。

理解を超えた存在が与える恐怖心は、薄気味悪さで満ち溢れています。

上位の存在となった高見

間宮が、高見の伝道師としてのポテンシャルを評価していたことは先に述べました。

そして、高見は間宮の期待を裏切ることなく、次の伝道師の役割を受け継ぎます。

高見にとっての諸悪の根源は、社会そのもの。

彼は社会に不平不満を持つ人に"癒し”を与えることができるのです。

最後のファミレスのシーンでは、高部がどうやって店員に催眠術をかけたのか、まるで分かりません。

煙草を吸ってコーヒーを飲んでいるだけで、あとは何もなし。

これらを使って術をかけている点も考えられますが、シグナル発信らしき行為は見当たらないのです。

むしろ、高部の心の闇のスケールの大きさに起因するものと考えます。

間宮以上の才能ゆえ、高部は彼より簡単に暗示がかけられるという考察は多いです。

ただ、間宮は個人の能力の高さを評価しているとは思えません。

影響力の範囲こそが高部の最大の武器だと考えていたと、私は推察しています。

程度こそあれ、社会を恨むことは、誰しもが日常茶飯事に行っているレベルのこと。

次の伝道師は、少しでも社会に不満を持ったことのある者全てに、問いかけることができるのです。

そんな人間が数多くいる世の中で、間宮のような大掛かりな催眠は高部には不要。

ただそこにいるだけで、簡単に催眠をかけることができるようになっていたのです。

こうなると、もうどうすることもできません。

なす術のない状況に、ひたすら絶望感を覚えるばかりです。

『CURE キュア』(1997)のまとめ

間宮邦彦:© KADOKAWA CORPORATION 2019

罪なことに、現在進行形でヘイトを蓄積し続けている現代社会システム。

いつ爆発してもおかしくない状況の中、中で生きる者達は必死に己をだまし続けます。

耐えきれずリタイアし、社会の枠外に出される人もいるでしょう。

一旦投げ出された人を社会は求めないため、彼らは独自の自分を作るよりほかありません。

現在では"無敵の人”と呼ばれる存在が典型例でしょう。

本作における"癒し”の施しは、"無敵の人”大量生産計画に近いものがあります。

1990年代後半時点で、この危険性を見抜いていた『CURE キュア』(1997)。

何度も見返しながら、気持ち悪さと共に新鮮な発見を楽しんでみてください。

本作の他にも邦画のサスペンス映画のおすすめ作品をランキング形式で紹介しているので、気になる方はこちらも合わせてどうぞ!

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